投稿日:2008-01-04 Fri
以前勤めていたパソコン教室の話です。ある日とても役職の高い方が、私を奮起させるために、こんな話をしてくれました。
「自分の知っているオーナーの中でとても販促(街頭でのチラシ配り、勧誘)を頑張っていたオーナーさんは、夫婦だけで経営されていた○○さんで、晴れている時はもちろんのこと、雨の日も雪の日もちょっとの時間を見つけては教室の外や駅前で販促をしていたんだよ!」
「旦那さんも頑張っていたんだけど、それ以上に頑張ってるなあと思ったのが奥さんの方で、1歳にもならない赤ん坊をおんぶしてよく販促していたよ!とても感動してよく声をかけてあげたよ!そうしたら泣くんだよね…もらい泣きしちゃったよ…」
当時すでに「やる気」がなくなっていて退職を考えていた私でしたが、そこは大人ですから何とか話を合わせるために「凄いオーナーさんもいますね。どこの教室の方なんですか?」と聞いたんですが、帰ってきた答えは、
「もう辞めちゃったんだよ…先に旦那さんが。その後奥さんだけで頑張っていたんだけど、間もなく閉校されたよ…せっかく頑張ったんだから勿体無いって説得したんだけどね」
なぜですか?の問いには「疲れた…と言っていた」
私のほかに聞いていた人達はいたく感動していましたが、私は唖然とし、納得もしました。
何故なら「疲れた」という一言はとてもあの会社を象徴していると思ったからで、驚いたのは話している本人がその異常さに気付いていないことです。
人間、全力疾走で42.195キロのマラソンは走ることができません。
また世界記録保持者のペースで走ることもできません。
人それぞれのペースがあるのです。
自分のペースを頑なに守っているとどんどん落ちていくので、当然「向上心」は必要なことです。
ですが「その人のペース」を無視した指導は行き過ぎです。
「ペース」を上げ過ぎたとき「ストップ」をいかにしてかけるかを考えるのも、指導者の必要なことではないのでしょうか?
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